北尾吉孝の『何のために働くのか』は、働くことの本質を問う一冊である。著者は、仕事とは単に生活費を得るための手段ではなく、人間的な成長と生きがいを得るための営みだと説く。幼少期から親しんだ中国古典、とりわけ『論語』をはじめとする東洋思想の影響が色濃く反映されており、働くことは自己修養の場であり、人格を磨くための修行であると強調する。

本書の大きな柱の一つは、「困難を避けない」という姿勢だ。著者は、人生や仕事において安易な道を選ぶのではなく、あえて高い目標に挑戦し、困難に立ち向かうことが人を成長させると説く。艱難辛苦の中にこそ真の学びがあり、試練を通して得られる経験が人間を深めるという考え方である。働くことを「苦労を伴う行為」として否定的に見るのではなく、苦労を通じて自分を鍛える機会と捉える発想が根底にある。

また、働くことは社会や他者への貢献と不可分であると語られる。自分だけの利益を追うのではなく、社会全体を見据えた志を持ち、日々の業務に取り組むことが重要だという。凡事徹底、すなわち当たり前のことを徹底的にやり抜く姿勢が、信頼を築き、組織や社会に対する貢献を可能にする。小さな努力の積み重ねがやがて大きな成果を生み出し、それが自分の誇りと幸福につながっていく。

さらに、著者は働くことを通じて人が「達人」へと近づいていく道筋を示している。学びを怠らず、改善を重ね、専門分野で一流を目指す姿勢が、自らの使命を明らかにし、やがて自己実現へと導く。真のリーダーシップとは自分のためではなく、他者や社会のために働くことにあると強調され、利他の精神が働き方の根幹にあるべきだと説かれる。

総じて本書は、「働くこと=生きること」という観点から、現代人に普遍的な問いを投げかけている。困難に立ち向かい、志を掲げ、他者に尽くしながら自己を磨いていく姿勢こそが、働くことの意味である。読者は「自分は何のために働くのか」という根本的な問いに向き合わざるを得ず、その答えを探し続けることが、豊かな人生へとつながるのだろう。

本書を読み、特に心に残った以下の3点について、自分の人生と比較しながら考察してみたいと思う。

本書の中で印象に残ったのは、「努力もせずに愚痴を言い、やる前から『できません』とあきらめてしまうことが一番いけない」という一節である。著者は「なせばなる」「なさねばならない」という前向きな姿勢を説いていた。

私はこの言葉を読んで、かつて「『できません』と率直に言える人」に憧れていた自分を思い出した。実際、私はそれを言えなかったために、周囲が避ける面倒な仕事を多く引き受けることになった。

当時は「なぜ自分ばかり」と不満を抱いていたが、今振り返れば、その一つひとつが確かな糧になっている。与えられたものを背負ってきたからこそ、今の自分があるのだと気づくことができた。

本書の教えと自分の経験を重ねると、「できない」と逃げるのではなく、まずは挑戦する姿勢が大切だと改めて実感した。これからは困難に直面しても、「なせばなる」という気持ちを持ち続けたい。

【人間として生を受けた以上、思いやりの気持ちがなければ生きてはいけないのです。それがなければ社会が成り立たないのです。】P219

これまで筆者の記述に大きな違和感を覚えることはありませんでしたが、この箇所についてはやや引っかかりを覚えました。